
準備
去年のノルウェー旅は、出発が遅すぎた。急に日本に用事ができ、7月は日本に一時帰国していたせいだ。8月半ばになると、ノルウェーはぐっと寒くなる。明け方の冷え込みは、私にとってはもう冬だった。そこで、今年は、7月に出て、8月半ばには帰ってくるつもりだった。だが、年に1回の歯医者での点検の予約を取るのが遅かったため、歯医者が22日になってしまった。7月半ばくらいには出発する気でいたのだが、さっそくつまずいた。
歯医者がすんでからなるべる早く出られるように、歯医者の日より前から準備を始めた。去年は「寒い」ということを恐れるがために、冬着を持っていきすぎた。容量60リットルのバッグはいっぱいまで中身が入っていた。重いので、山登りのヘヤピンでバイクのハンドリングに影響が出ていた。その反省を踏まえて、今年は冬着を本当に必要なものだけに絞り込んだ。経験からこれで足りるという目安がつけられるのも役に立った。テント、食事用具、寝袋等は過去のバイク旅で絞り込みは済んでいるので変更なし。
0日目:フェリー近くまで移動 197miles (317km)



オランダ行きのフェリーが出るのは9時。8時にはチェックインを済ませたい。フェリー乗り場まで、自宅からだいたい4時間かかる。8時前に着きたかったら、出発は3時台ということになる。荷物(トップケース、パニア、60リットルの防水バッグ、タンクバッグ)をくくりつけて、スマホをワイヤレス・イヤホンとつないで、ヘルメットを被って走り出すのに、だいたい1時間かかる。すると、遅くとも2時に起きる計算になる。
1時ないし2時に起きるというのは、たちが悪い。いきなり6時や7時に眠れるわけはなく、結局睡眠時間3~4時間で、出発準備を終えて4時間走ることになる。フェリーの中では、もうヘロヘロで、かといって中に寝転ぶところがあるかというと、ない。その上、定期的に船内放送で、ゴロッと横になってはいけないと放送がある。椅子に座って眠っても満足に眠れない。
かくして、オランダ側で走り出しても、エネルギーが残っていないので、早々に降参して宿を取ることになる。
これを過去2年繰り返した。今年は少し利口になって、前日にフェリー乗り場の近くで宿泊することを思いついた。乗り場から7分という場所のTravelodgeに宿を取った。
この低価格ホテルは、やたらに細長く、受付のお姉さんは、2階の一番遠くの部屋をくれた。お姉さんに、ここは安全かと聞いたら、安全だし、CCTVも備わっていると言った。それでも私は警戒心を解かず、全部の荷物を遠くの部屋まで運んでいった。トップボックス、60リットルバッグ、パニア、タンクバッグと最低3回は往復した。写真で右側の方に出入り口が見えると思うが、出入りできるのは、ここだけ。そこから、写真のほぼ左端の私の部屋までの往復で、えらく疲れた。どうして、出入り口を中央に作らなかったのだろう。まだ終わりではない。60リットルバッグの中に入れたごっついワイヤーのロックを取り出し、また外に出てバイクの後輪に付けた。これで一安心。
さらに、私に心理的プレッシャーを与えたのは、翌朝、またすべての荷物を運び降ろして荷造りをしなければならないという事実だった。しかも、それを8時以前に完了し、チェックインに間に合うようにせねばならない。
家から直行するのと宿を取るのと、どちらが良いかと聞かれれば、僅差だが宿を取る。やはり、睡眠をしっかり取れた方が、翌日の走りも安全だし、元気も残っている。直行は、オランダ側のキャンプサイトで一泊しても翌日まだ疲れを引きずっていた。
イングランドの東、スコットランドまでもう少しというところに、ニューカッスルという町があるが、昔むかし、ここからノルウェーのベルゲンまでフェリーが出ていた。これを復活させるという話が持ち上がっていて、この夏に間に合ってほしいと強く願っていたのだが、間に合わなかった。復活したら、絶対にこれを使う。オランダ、ドイツ、デンマークを走る過程をぜんぶ省略できるからだ。
1日目:Harwich(イギリス) - Giethoorn(オランダ) 131miles(210km)



昨晩10時頃寝たのと、荷造りのプレッシャーから5時くらいに起きた。それでも、朝ごはんを食べて、2階の長い長い廊下を往復して荷物をバイクまで運び、くくりつけて、すべて準備が終わるころには、8時近くになっていた。当日のグーグルマップ、タイムラインを見ると、7時54分に出発している。チェックインの列に並んだが、私はほぼ最後だった。
チェックインの列の進みは遅く、ちょうど熱波が来ていたために、強い日差しにジリジリと焼かれた。無事にチェックインが済むと、次は税関だ。係官が、何か刃物の類いを持っているかと聞くので、キャンプの料理に使う小さなナイフなら持っていると言ったら、それを見せろと言う。私は思わず、マジで?と聞き返してしまった。キャンプの食事関係はパニアの中にある。パニアの上には60リットルバッグが乗っていて、宿を出るときにしっかりくくりつけたばかりだ。これを降ろさなければパニアを開けることはできない。5分はかかると言っても、係官はどうしても確認しなければならないと言う。ここ数年、不良たちがナイフで戦うようになり、ロンドンなどではよく不良グループどうしの争いでナイフで殺傷事件が起きている。そのせいで、税関が確認しなければならなくなったそうだ。数十センチに及ぶ長いナイフを持っている輩もいるようで、悪夢だとぼやいていた。そのぼやきを聞きながら私はパニアを開け、中をごそごそと探して料理用ナイフを見つけた。それを見せると、係官は納得した顔をした。私は最後なので、焦っていたが、最初の年に、道中寒くなって着る物を取り出すために60リットルのバッグを開けたあと、荷造りをしっかりしなかったために、縛りひもが後輪に巻き付けられて引きちぎれてしまったという苦い経験が頭をよぎった。手抜かりがないように気をつけて元通りに荷物をくくりつけた。
同じルートを3回繰り返すと、さすがに少し勝手が分かるようになる。この船旅は、少し余分に払ってでも「ラウンジ」に席を取った方が快適なので、フェリーを予約するときにラウンジも予約した。ラウンジに入るには扉で暗証番号を入力し、入ったら受付でチェックインをする。ここでは、コーヒー、ジュース類は飲み放題。ケーキが3種類ほどあって、オリーブなどのつまみもある。これらも好きなだけ食べてよい。席には充電用のコンセントがあり、昼食を注文すれば、持ってきてくれる。何より、落ち着いて座ることができるのがうれしい。
ラウンジのお得さが広く知られるようになったらしく、これまでよりも混んでいる。隣では、新卒で金融街に就職したらしき若者2人が、ビデオ会議で話している。話し方がいかにもパブリック・スクール出身といった話し方で、電話がかかってきてママとも話している。こういう層の人たちは、同じような生活が子どももできるようにあれこれ手を尽くして、子どもも同じような社会的層に心地よく生きていくのだろう。ただ、この新卒君がこれまで通りに生きていけるかは、AI次第だ。今の若者はAIのせいで将来図が描きづらい。大変な時代になった。
少し耳が疲れたので、席を移った。ラウンジはフェリーの先端部にあり、キャプテンと同じような景色を楽しむこともできる。オランダ側の湾内を進んで行くとき、向こうから柱のお化けのようなものを何本も突き立てた船が向かって来た。湾岸工事にでも使うのだろうか。







船にいる間に、オランダで泊まるキャンプ場に予約を入れた。去年の帰りにGiethoornという運河の町に観光で寄ったのだが、この時に泊まったキャンプ場が気持ちよかったのと、フェリーを降りて2時間ほどという程よい距離なので、今回も泊まることにした。
フェリーから降りると、去年と同じように入国管理の車の列に加わった。今回は、EUが新しい入国管理制度を導入してから始めて入るので、指紋の採集と、写真を撮られることを覚悟していた。ハンバーガーのチェーン店でドライブスルーというのがあるが、車の列と、列ごとに係官がいる建物の関係はちょうどそんな感じだ。ただ、車の列はまっすぐだ。私の前の車には人が8人くらい乗っていて、えらく時間がかかっている。私の番がきた。右手の指すべての指紋を採る。小さなスキャナーのようなものに手のひらを載せるだけなので、簡単である。次は写真ですよねと言ったら、カメラが壊れているとのこと。どこまで行くのかと聞くので、ノルウェーまでだというと、遠いよという。知っている。今回で3回目だから。何日間滞在するつもりかという。いたいだけいると言うとまずいと思ったので、ブレークダウンの保険を一ヶ月しかかけていないので、それ以内には帰ると、係官を安心させる答えをした。宿泊先の住所はと聞いてくるが、初日のキャンプ場は予約してあると答えてしのいだ。係官はまだ20代の女性で、あんまり目が綺麗なので見とれていると、パスポートにスタンプを押してくれた。
フェリー乗り場から高速に乗るまで、大きくてイギリスとだいぶ違うラウンドアバウトに神経を使ったが、乗ってしまえば、オランダの道は、広くて整然としていて、非常に走りやすい。そして、空が広い。どうしてこんなに空が広いのかと思った。しばらくして、それは山も丘もないからだと気づいた。ただひらすら真っ平らなので、空はやたらに広い。
キャンプ場の受付に着いたら、オーナーは見回り中で、事務所の扉はしまっている。受付の周りに7、8才の男の子がいて、この子にこれからどんなルートでどこまでいくか話しているうちに、オーナーが帰ってきた。一泊20ユーロ。自転車で先導するオーナーの後をバイクでついていく。前回の湖べりの場所は埋まっていて、小道を挟んで少し奥の、すてきな芝生の場所をくれた。後ろには別荘のような建物があり、オランダ人が数人椅子にすわって談笑している。さっそく挨拶をした。みんな明るく社交的な人たちだ。再びどんなルートでどこまでいくか話し始めたが、よく見ると、さっきの男の子もいることに気づいた。あとは、その子に聞いてくれと切り上げた。今回、座り心地のよい椅子を持ってくるかどうか悩んだが、それをここぞと広げる。持ってきてよかった。
2日目:Giethoorn(オランダ) - Elbe川東岸(ドイツ) 260miles(418km)

去年は、往復高速道路を使った。行きも帰りも、ドイツの高速道路で渋滞に遭い、ひどい目にあった。ドイツではオートバイのすり抜けは違法だ。渋滞時には、日の光にジリジリ照りつけられながら、じっと耐えるしかない。ブレーメンとハンブルクは、必ず渋滞していると言っていいだろう。帰りに渋滞をハンブルク以西は渋滞を避けて北部を走ったのだが、それでも合計4回渋滞に巻き込まれ、4度目におそらく軽い熱中症になったと思う。30分先のキャンプ場に行く気力も体力もなく、10分東に逆戻りして一番近いところへ逃げ込んだ。
それにしっかり懲りて、今年はドイツでは高速道路を使わない固い決心をしていた。問題はハンブルクをどうやって高速なしで越えるかだ。何か妙案はないかと、Facebookでノルウェーのツーリングが大好きなバイクグループに尋ねてみた。嬉しいことに、彼らはエルベ川を渡るフェリーがあることを教えてくれた。このフェリーを使えば、ハンブルクの高速を使わずにデンマークに乗り込むことができるのだ。アドバイスでは、ドイツのレール(Leer)という町を目指して、そこからはナビを高速不使用に設定して、Wischhafenを目指せとのこと。そこからエルベ川へ向かえば「渡し」へたどり着く。そして、車の長蛇の列をオートバイは全部すり抜けして先頭に行ってよいということまで教えてくれた。




早めに起きて、朝ごはん、撤収を済ませ、オランダのキャンプ場を9時に出発した。下道を使うということは、距離を稼ぐためには、速度ではなく、どれだけ長い時間走るかということが問題になってくる。
北上し始めてGiethoornを通り過ぎ、シェルで給油。オランダにいるからにはシェルだろう。Royal Dutch Shellという会社名を覚えている。
オランダ国内の下道は、自転車専用帯がラウンドアバウトや交差点に組み込まれているのに慣れるまで神経を使った。以前、上高地でオランダ人と同宿したときに、どちらに優先権があるか尋ねたのだが、場合によるという返事だった。そこで、安全策を取って交差点等で自転車に出会ったときは、ぜんぶ譲った。
ドイツでは、時速100km、70km、50kmが入れ替わり出てくる上に、標識がないところでグーグルナビの速度制限が上がったり下がったりするので、非常に混乱した。実は整然としたルールがあるのを、帰り道で気づいた(後述)。信号も、何もついていない時と赤の時があったりして、走る前に調べておけばよかったと後悔しながら走った。
ドイツではドイツ語で話しかけられることが多い。これは一つにはドイツが大量の移民を受け入れていることを反映していると思う。移民の中に私のような顔つきの人間がいくらもいるようなので、ドイツ住民と見なしてドイツ語で話しかける、さらに、ドイツ語はヨーロッパに普及している言語だという自負もあるだろう。外国語として、英語は話せないがドイツ語なら話せるという人もたくさんいる。
そこで、可能な限り止まらないように走り続けるのだが、ガソリンは入れなければならない。最初のガソリンスタンドは、片田舎にあって、思いきりドイツ語だったが、片言のドイツ語とジェスチャーで何とか切り抜けた。その次のガソリンスタンドに入ったとき、店員さんが若い人だったので、英語を試してみたら、上手な英語が返ってきた。意思疎通が簡単にできるというのは素晴らしい。ついでに、昼もそこで食べることにした。
ドイツでは、町を抜けて次の町に着くまでの建物の少ない区間は時速100km、町に入ったら50km、町に入る区間・町から出る区間、それに合流があったり、危険度が比較的高い場所では70kmだと、帰り道に理解した。町の入口と出口には必ず黄色の看板がある。
行きにはまだその理解に達せずギクシャクした走りであったが、何とかエルベ川の渡しにたどり着いた。教わった通り、車の長蛇の列をすり抜けていった。渡しが着いたとみえて、降りた車やロリーがこっちへ向かってくる。その流れが途切れたときに一気に前進し、先頭まで出て、他のバイクに加わった。加わって1分も経たぬうちに渡しフェリーに乗り込んだ。
フェリーが出て少ししたら、集金係の人が来た。このごろはコンタクトレスのクレジットカードで何でも払えるので、いとも簡単に終了。これで憎きハンブルグの交通渋滞に苦しむことなく対岸へ渡れる。勝ち誇った気持ちでフェリーの時間を楽しんだ。
理想を言えば、北上してデンマークの最初の町まで行きたいところだが、もう5時だ。がんばって、北上して8時、9時にデンマークのキャンプ場に着くというのは利口でない。テントを張って、食事を作ってといったことをそれから始めると、寝るのが遅くなってしまう。きっぱりあきらめて、手近なキャンプ場を探した。キャンプ場へ向かう途中で、右手の広大な牧草地に、何やらイベントの準備をしているのが見えた。ロック系のミュージック・フェスティバルかと思ったが、こんなところでするかなあと疑った。







キャンプ場に着くと、80は越えていそうな男性が出てきた。英語への期待は遠のいたが、英語で話していいかとドイツ語で聞いた。すると、彼は、手招きして隣の部屋に移動し、階段の上に向かって話した。若い女性が降りてきた。この人は英語でOKだった。
入口脇の区画をもらった。そこで、テントを張っていると、同年代くらいの女性がドイツ語で話しかけてきた。私がキョトンとしていると、今度は英語で話しかけてきた。少しして、また別の40代くらいの女性も話しかけてきて、コンサートに来たのか聞かれた。やはり、あの広大な敷地でロックのミュージック・フェスティバルが行われるとのこと。あと2、3日すると、ものすごい数の人が、あそこに集まるそうだ。食事の準備をしていると、今度は50代くらいの男性が話しかけてきた。ここは、なんてフレンドリーなドイツ人がいるキャンプ場なんだと感心した。みな、何かしらこのコンサートと関わっているようで、ロック好きの人たちは、社交的なのかもしれない。去年の帰りに泊まったドイツのキャンプ場の年配層があまりにも冷徹だったため非常に印象を悪くしていたのだが、それを見事に打ち消してくれる、ありがたい経験だった。
3日目:Elbe川東岸(ドイツ) - Hirtshalds(デンマーク) 295miles(475km)




今日は、デンマーク北端の町Hirtshaldsまで行く。これまでの経験から、1日で行けると知っていた。明日、Hirtshaldsからノルウェーに渡るフェリーも予約した。気になるのは、天気予報だ。西の方から雨がこちらに向かっている。予報だと、北へ逃げれば、雨を避けられる可能性が高い。あす、雨が来る前に、北へ逃げたい。
プレッシャーはよく効いて、朝5時くらいには目が覚めた。10時くらいに寝たから睡眠も足りている。テントの中で朝食(パン、チーズ、トマト)をもぐもぐと食べ、撤収。8時には出発の準備ができていた。のろまの私としては、記録的に早い。余裕をこいてゆっくりし、8時20分に出発。
ドイツのキャンプ場を出てすぐに、雨がポツポツと降ってきた。北へ移動して雨から逃げているつもりなのだが、雨はやまない。降られることは分かっていたので、グローブは雨用のものをしていた。雨用と言っても、濡らしてもかまわないただの安手のグローブだ。この下に、ガソリンスタンドで手に入る薄手のビニール手袋をする。そうすると、スイッチ類を操作する指感覚を保持したまま、手は濡らさずに済む。不愉快な冷たさもない。
スマホのナビは、きのうの下道の設定のままだった。のどかな町を楽しく通り過ぎることを予想していたが、この当りは穀倉地帯。ときおりある町をつなぐ道が延々と続く。穀倉地帯を通るので、景色も面白くない。デンマークのこの部分は高速を使って効率的に走った方が利口だと思った。
コツコツと北へ進むのだが、雨があがったり、しっかり降ったりと、なかなか振り切れない。結局、雨から逃れて走ることができたのは、最後の4時間くらいだった。走りながら、自分を乾かした。
ちょうど、雨が途切れたころ、セブン・イレブンがあった。思わす懐かしくなって寄った。日本のセブン・イレブンのコーヒー注文の仕組みがここに持ち込まれていて、興味深かった。ここで、おそい昼を食べた。
いい景色が見られるかもしれないと、デンマークの北の方では西の内湾沿いのルートを取ったのだが、これといって素晴らしい景色に出会えなかった。
6時ごろHirtshaldsに着いた。いい天気だ。朝8時20分出発だから、9時間半ほどかかったことになる。もう3年越しでお世話になっているキャンプ場へ。いつもの愛想のいいオーナーではなく、もう1人真面目そうな人が手続きをしてくれた。もらった区画に向かうと、バイク仲間が2人、サイクリストが1人。
自分の区画で荷物を降ろして設営を始めたら、ダックスフントを連れた女性が通りかかった。犬には目がないので、犬に挨拶をすると、吠えてくる。Hi Vizのベストを一番上に着ていると、犬は危険を感じるようで、よく吠えられる。吠えちゃってごめんなさい、といった会話から、立ち話へ。この近くにすんでいるとのことで、立て続けに親類を4人失って、失った親類が契約している区画にある、ホリデー用の簡易住居の整理をしに来ているとのこと。
キャンプ場に併設されているカフェ兼雑貨店は9時半に閉まると受付で聞いたのを思い出し、買い出しに。明日ノルウェー側に着くのは夕方なので、買い物をしている時間がない。カフェに着くと、オーナーの奥さん(スペイン人)は、いなくて、若い人たちがいた。男性1人、女性2人。男性が女性たちにスペイン語を教えているところをみると、オーナー夫妻の息子さんかも知れない。食糧と、ここまでやってきたお祝いに、デンマークビールのカールスバーグを買った。
テントに戻って食事の準備をしていると、先ほどのダックスフントと女性が帰ってきた。Hi Vizは脱ぎ捨ててあるので、犬は吠えない。スペイン産の乾燥ソーセージをやると、喜んで食べていた。犬は食べ物をもらった人への恩を忘れない。もう手なずけたも同然。40代半ばとみえる飼い主は、このキャンプ場から歩いて行ける海岸について教えてくれた。デンマークでトップクラスの海岸だとのこと。どうも、犬がソーセージほしさに引っ張ってくるのか、その後も何回か話をした。
食事のあと、久しぶりのビールで気持ちよくなって、散歩がてら海岸に行ってみた。砂地になってから結構距離があったが、海岸に出て、努力は報われた。確かに、この海岸はトップクラスだ。夕日が海に沈み始めるころまでぼおっと海を眺めて、テントへと向かった。
明日のフェリーは昼頃。その夜はテントでのんびりと過ごした。外でゴソゴソ音がするので、動いたらエアーマットが音を立て、犬が吠えた。テントのすぐ外に、犬と彼女がいることがばれてしまった。2つの可能性がある。1つは、こそ泥で何か物色に来たが、犬のせいで台無しになった。もう1つは、私のことが気になって様子をみに来た。自分に子どもがいないことなど、聞きもしないことを話していたが、これも前者・後者どちらの線でも解釈できる。テントの外に盗むに値するものは何もないので、寝てしまった。







4日目:Hirtshalds(デンマーク) - Hokksund(ノルウェー) 62miles(99km)






今日は、フェリーがお昼なので、朝からのんびり。ゆっくりに撤収・荷造りをしていると、例のダックスフントのデンマーク女性が通りかかった。素敵な海岸を教えてくれた例を言って、少し無駄話。どうも物取りではなさそうだ。また会えるといいね。10日~15日でまた帰ってくるからと言って別れた。犬は完全に私になついていて、手をなめている。スペインソーセージの威力だ。
例によって、数百台の車に混じってフェリーの列に並び、チェックインを済ませ、バイクと自転車のグループに加わった。乗船はまず2輪から。フェリーに乗り込むと、バイクは全車両の先頭に案内された。
この航路には何度か乗っているので、勝手が分かっている。まっすぐ船内でいちばんいいエリアへ行き、席についた。テーブルをはさんで3人掛けが向かい合っている。私の横は、自転車の女性。編み物を始めた。少しして、目の前には3人組が座ってきた。話を聞いていると、どうやら大学の言語学の専門家らしい。アメリカ英語の人が、ドイツなまりの英語の人の博士論文についてアドバイスしている。私は彼らの会話には加わらなかった。ここで下手に会話に入ったら、不勉強を晒して恥をかくことは目に見えていた。そのうち、アメリカ英語さんが、私のバイクズボンのサスペンダーが好きだと言ってきた。私のサスペンダーには小さなウエールズの国旗が並んでいる。
国旗模様のサスペンダーには何種類もあって、最初はユニオンジャックのサスペンダーをつけていた。よく考えもせず、これを付けて友人のボブとアイルランドのバイク旅に出かけた。ある宿で、宿の女将さんに、あんたのサスペンダーにはどうしてユニオンジャックがついているのか、と聞かれた。イギリスには、北アイルランドの問題がある。ユニオンジャックを掲げてアイルランドに乗り込むことは、政治的な意味合いが絡み、アイルランド人を不愉快にする。中国本土で日の丸を振りかざすような感じだろう。私が日本人だったこと、そして自分の無知をすぐさま謝ったので、問題はこじれなかった。それ以降、ユニオンジャックのサスペンダーはやめ、そういう心配がなく、かつ、私のお気に入りのウエールズ国旗のサスペンダーに変えた。スコットランドのものも持っている。
さっきのアメリカ人さんに、これは、ウエールズの国旗だ。これを付けていても、誰も不愉快な思いをする人はいない、と答えたら、大笑いしていた。
1時間ほどすると、子ども向けのエンターテインメントが始まった。最初の10分ほどは喜んで観客になっていたが、賑やかさがだんだん騒々しさに変わり、耐え難くなってきた。私はその場を離れて、昼食を食べることにした。
食事のお盆を持って席を探していたら、船窓に向かって座れる席を見つけた。しばらくして、テーブルを挟んで向かいの席に、スイス人のリタイアした夫婦がやって来た。彼らの息子は日本で働いていて、日本人女性と結婚しているという。二人はドイツ語を話す人たちだったが、私には一生懸命英語で話してくれた。こうやって多言語を話せるようになるのだろう。質素だがスペインにも家を持っていて、キャンピングカーで旅行しているという。なかなかいい人生だ。
フェリーの前方部分が開くとすぐに下船できたのは楽しかった。グーグルナビを見ると、オスロの西側を通るルートが表示された。都市は渋滞に巻き込まれるかもしてないので、避けられるのは大歓迎だ。
できるだけ遅くまで走ろうと思っていたが、6時になったところで泊まることにした。キャンプ場の入口には「満員」と表示されていた。が、それは車の場合の話だ。バイク1台とテント1張りなら、大きなキャンプ場ならなんとか押し込んでもらえる。案の定、泊めてもらうことができた。電源を必要としないと言うほうが、受け入れてもらえる可能性は高い。
明らかにデンマークより寒かった。外で料理をするには、長ズボンとニット帽が必要だった。料理をするにも水が要る。中央の設備棟に向かったが、どうもキッチンが見つからない。通りがかりの人にきいたら、私のテントの脇にある別棟にキッチンがあることをおしえてくれた。このキャンプ場は非常に近代的で、こういう棟に入るときに、チェックインのときにもらった磁気カードをかざさないとドアが開かない。
隣のファミリーキャンピングカーには幼児がいて、何時間も泣き続けていた。幼児は途中で両親のところへ行って、ちょっと言葉を交わすのだが、それが終わるとまた泣き続けている。おそらく、この子にとって泣くことは日常なのだろう。私なら、泣き続けられないように何か食べさせてしまうところだ。
10時ごろになると、とうとう泣くエネルギーが切れたのか、泣き声が止まった。ようやく静かになった。
ここまで走ってきた道沿いの自然は、すでにスケールが大きくなっていた。スコットランドくらいの規模に感じる。しかし、これがまだ始まりにすぎないことは分かっている。


5日目:Hokksund - Høvringen 228miles(367km)










このキャンプサイトのトイレ兼シャワー室はとても贅沢にできているので、朝シャワーを浴びることにした。同じような部屋がいくつかあるので、外で待っている人が列をなしているといった心配をせずに存分に使える。と思ったら、全室埋まっていて、出たときに2人待っていた。
朝シャンを楽しんだせいで、出発が10時になってしまった。今日の目標はTrollstgigenの麓のキャンプサイトに着くことだ。
Trollstigen麓までの道は、森の中を走り続ける、私にとっては極めて退屈なルートだった。それに、左耳がヘルメットの内張りに当たって1時間くらいすると我慢できなくなる。そこで、痛みを和らげるために、頻繁に止まった。そのうち、スキーリゾートにたどり着いて、そこからの景色は雄大になり、気持ちが上向いた。
6時になった。Trollstigen麓のキャンプサイトまでまだ2時間ある。8時に着くのは賢明ではない。頑張らずに、手近のキャンプサイトを探した。近くに評価の良いキャンプサイトを見つけた。
道は、登り始め、ヘヤピンが連続した。
登り切ったところで、景色は開け、ノルウェーにしては小ぶりな高原地帯のようなのどかな風景が広がっていた。ジブリアニメのラピュタの平和な緑地帯を思い出した。私は、いきなり素敵な場所にポッと着いて、想定外のご褒美に幸せいっぱいだった。
受付で手続きを済ませた。どこを使ってもいいと言われ、あちこち歩き回って、いちばん景色の良い場所に決めた。散財しているトイレ棟はプレハブで、ちょっと不安がよぎったが、中はしっかりとした作りで、不安は払拭された。隣のキャンピングカーのスウェーデン人が、あそこに見える山のてっぺんまでいけるぞと教えてくれた。どんな道かと聞いたら、舗装路ではなかった。オフロードは、願い下げだ。
景色を楽しみながら晩飯を食べ、心地よく寝た。
6日目:Høvringen - Trollstigen - Atlantic Ocean Road - Averøy 184miles(296km)


朝起きて、テントの窓を開けると、ご機嫌な眺め。改めて、このキャンプサイトを見つけた幸運に感謝した。
今日の目標は2つ。まず、Trollstigenを走ること。もう1つは、Atlantic Ocean Roadを走ること。去年のノルウェー旅の際、悪天候に遮られて、この2つを断念して引き返した。今回の旅は、そのリベンジ旅である。これが果たせれば、今回の旅の主目的は達成する。
きのう登ったつづら折りを下って、幹線道路に戻った。Trollstigenまでの道のりは快調。Trollstgigen付近になると、地形のスケールが常識を越えてくる。最初に圧倒された場所に止まって、ぐるりと写真撮影。Trollstigenまで30分ほどのところ。


無事にTrollstigenの麓に着いた。麓から上の展望所までをスライドショーでお見せする。
途中で、止まっているボルボを不思議に思いながらノロノロと追い越して行ったのだが、直後に、このボルボのドライバーは実に賢いことが判明する。ずっと上を見上げると、大型バスが下ってきているのだ。私は、ボルボを追い越してすぐ気づいたので右脇にオートバイを止めて待つことにした。1台先のドイツナンバーのキャンピングカーは、無邪気に前進して行った。そしてヘヤピン直前で大型バスと鉢合わせ。登った道を、ずっとずっとバックする羽目に陥った。後続のボルボは、私の後に付いてきて後ろにいたのだが、事態を把握すると再度バックしてもとの場所に戻っていった。ボルボのドライバーの方が1枚上手であった。素晴らしい前方確認能力だ。
だいぶ上の方で、ローラー型のノルディックスキーの人を見つけたときには肝を抜かした。下からここまで自力で登ってきたのだ。サイクリストたちにも鉄人が多くいて、よくこんなところで見かけるが、ノルディックスキーの猛者は初めてだ。




Trollstigenの上まで行くと、大きな駐車場があり、サービスステージのようになっている。そこから展望台に歩いて行ける。足場だけ崖の外にはみ出すように作られていて、迫力満点。
一通り見終えてバイクに戻って来たころ、雨が降り始めた。早く次の目的地へ行こう。前方の空の雲行きはそれほど悪くない。
下りは、下から何が登ってくるかをちょくちょく確認。大型車が登ってくる場合、ヘアピンを曲がりきるために、大きく反対車線にはみ出してくる。これに下手に鉢合わせしたら、バックすることができない。困難な状況に自分から突っ込んでいく愚を避けるために、速度を上げるか下げるかしてタイミングを調節する必要がある。賢明なのは、ヘヤピンから充分距離を置いて、手前で止まってしまうこと。なるべく早く大型を発見する必要がある。










次の目的地はAtlantic Ocean Roadである。順調に進んで行くと、突然フェリー乗り場に着いた。橋の代わりにフェリーで両岸を繋ぐということがよく行われており、ここもその一つだ。グーグルナビではこういう「渡し」も橋も区別がなく、よほど拡大しないと分からない。橋しか予想せずに走っていると、突然フェリーが現れてびっくりすることになる。
Atlantic Ocean Roadは、小さな島を橋で結んでできた道で、海上で大きく盛り上がった橋や、両脇を海に挟まれた道を気持ちよく走れる道で、バイク友達にその存在を教えてもらった。Trollstigenに近く、ここまで来たら走らない手はない。

Atlantic Ocean Roadを走ったときのビデオからスライドショーを作ってみた。










この時、天候はどんな状況だったかというと、西から雨雲が迫ってきていた。西から東へ走るのは大丈夫だと思った。東側に着いたとき、少し欲が出た。そこで、東から西へも走った。これも何とか間に合った。Atlantic Ocean Roadを録画しながら往復したので、満足。
降ってくるのは時間の問題なので、手近なキャンプサイトを探した。この先、東へ進んでいくのは明白なので、東側を探した。合計でAtlantic Ocean Roadを1往復半することになる。
1つ目のキャンプサイトは、受付が閉まっていたし、場所が狭そうなので、次を目指した。雨に追いつかれてしまった。パラパラ降ってきた。
2つ目は、少し北に逸れた島にある。もう普通に雨が降り始めたが、それは当然のこととバイクを進める。
着いて、すぐにここはユニークなところだと分かった。船の船長室のような物が屋根の上に乗っかっている。
受付で、英語が流暢な同年代の男性に、キャビンは残っているかと聞いたら、ないという。雨の中テント泊かと気を落とすと、部屋が空いてるよという。ノルウェーの部屋はびっくりするほど高いのを知っていたので、そんなに払えないといったら、うちはぼったくらないから、と言って、キャビンと大差ない金額を言ってきた。雨の中、テント泊はしたくない。もう若くないのだ。部屋を見てから決めろと上の階に案内された。
外階段を上ってドアを入ると、木造の廊下に物が所狭しと並べられている。ここは、もと網元の家で、奥の方は漁業の博物館になっているという。壁にも昔の漁の様子などの写真や漁の道具などが展示されている。面白いところを掘り当てたと、幸運に感謝した。部屋には、食卓、小さな流し、簡単な調理器具、ベッドなどがあり、文句なし。窓から海と、外で働いている漁師たちの様子も見える。トイレとシャワーは共用。
荷物をほどいて部屋まで上げた。それから、奥の漁師博物館をグルッと見学。上の階にも続きがあって、真ん中に長い長いテーブルとそれを取り巻く多くの椅子がある。町の漁師たちがここに一堂に会して会議やら宴会やらをしたのだろう。その周囲には、網や浮きなどが山積みにされていた。
7日目:Averøy - Skatval 151miles(244km)

TrollstigenとAtlantic Ocean Roadと、大物を2つこなして意外に疲れていた。そして、ダイニングテーブルまである部屋の居心地は非常に良かった。起きたのは8時ごろだった。きのう、瞬く間に部屋中に散らかした物をもとの入れ物に戻し、4つの荷物を階下に降ろして荷造りを完了した頃には10時になっていた。
4日間かけてノルウェーまでやってきて、3、4日だけいて、また4日間かけて帰るのは何とももったいない。3年越しのノルウェー旅行で、行きたい場所はだいたい押さえたし、ヨーロッパで他に行きたい場所はいくらもあるので、しばらくノルウェーには来ないだろう。ならば、せっかくここまで来たのだから、Lofotenにもう一度行っておきたい。2年前に行ったとき、両脇に聳え立つ山のあまりの巨大さに圧倒されながら橋を渡ったのを覚えている。もう一度、あの感覚をしっかりと味わいたい。バイク故障の保険と旅行保険は一ヶ月かけてあるので、時間は充分にある。先ずは、Trondheimという、要になる町を目指す。そこまで行けば、あとは2年前にNordkapp(ヨーロッパの最北端)まで行ったときの道をたどればいい。



先を急ぐ旅ではないし、頑張らないことが長旅のコツだと思うので、4時半くらいになったら宿を探し始めた。例によって海近くに良さそうなキャンプサイトを見つけた。
田舎の入り江が見えた段階で、また当りを引いたと分かった。この景色があれば、それだけである程度満足できること確定。
小さな入り江を独り占めする場所にキャンプサイトはあった。もうご機嫌である。受付を探したが、見当たらない。バイクでうろうろしていると、灰色のバンがやってきた。中に乗っている若い男性に受付はどこだときいたら、自分を指さした。まれなパターン。過去3年間で、3件目くらいだ。とても愛想のいい人で、彼もバイク乗りだそうだ。ついておいでと言う。名前はオットー。A man called Ottoという頑固な老人についての映画を思い出したが、あれはスエーデンの話だった。こっちのオットーはおしゃべりでとってもいい人だ。
オットーは、入り江を一望するいちばん良い場所をくれた。早く着いた者の特権である。その場所で、いろいろと話をした。奥の方に素敵な家が建っているが、彼はそこで生まれ育ったそうだ。都会に出て働いてみたが、長続きせず戻って来た。こんな素敵なところで悠々と育ってしまっては、都会の窮屈さを我慢できるはずがない。
ノルウェーで獲ったサバをスコットランドで燻製にしたものがイギリス中のスーパーマーケットで手に入るのだが、ノルウェーのサバが不漁なので値段が2倍になっている。だから、ノルウェーにいるうちに魚をなるべくたくさん食べたいと言ったら、缶詰入りのサバを知っているかと聞かれた。知らないというと、後で持ってきてあげると言って去って行った。
私があてがわれた場所にはパブベンチがあり、その隣にブランコがある。テントを設営していると、キャンピングカーがやってきた。さっそく、オットーがバンでやってきて、ブランコのうんと向こうに連れて行った。キャンピングカーの若い2人はカナダからだとのこと。
私を見て思い出したのか、オットーが本当にノルウェーのサバ缶を持ってきた。黄色の楕円形の缶だ。ついでに、ゆったり座れる椅子、イチゴ、チョコレート、そして、マンゴーとミカンのジュースまでくれた。キャンプ代を払ったが、シャワーのコインを1つしか買わなかったのに、2つもくれた。
もらったサバ缶を使って夕食を作ることにした。ドイツ人の家族がやってきた。オットーは、ドイツ組を私とカナダ組の真ん中に置いた。ドイツ人の場合、当たり外れがあるので、警戒気味に見ていると、十代後半の男の子がイヤな奴なのが分かった。私のことを多分差別語で呼んだのだろう、言ったとたん母親に「シッ」と制された。隣だが、いっさい声をかけないようにした。おそらく、ドイツ語を理解しないことが幸いだったろう。分かっていたら、我慢できずに親に抗議していたかもしれない。
長い外国暮らしですぐに忘れる能力を身につけたので、料理に関心を移した。サバは、トマトソースの中にある。半分を炊き込みご飯にして、残りを明日の朝食でパンと一緒に食べることにした。




8日目:Skatval - Namsskogan 150miles(241km)


夜、風が強くて目が覚めた。こんなにテントが揺れているのは久しく見たことがない。バイクが倒れているのではないかと、外を見てみたが、大丈夫だった。実際に外で風を感じてみると、そんなに強いものではなかった。
朝、起きてみると、昨日の風はウソのようないい天気。しばし景色を楽しむ。朝飯を済ませ、テントをたたんでいるときにオットーがやってきて、また長話。こんなにいい人は珍しい。ぜひ、またここに泊まりたい。一泊と言わず、数泊して周囲を楽しみたい。出発は、11時になってしまった。
北上の途中、ガソリンスタンドで2人組と出会った。GSに乗っていて、荷物があるので、Nordkappに行くのかと聞いたら、果たしてそうだった。一昨年行ったよと言ったら、話がはずんだ。メガネをかけている方が、フランス人のビンセント、もう1人はイタリア人のジョゼッペ。2人はきのう宿で出会ったそうだ。私は、どういうわけか、ラテン系の人たちと相性がいい。どうもジョゼッペは、私が日本から走ってきたと誤解しているようで、クレイジーなライダーだ、写真を撮ろうと言って3人で記念撮影。2人が昼飯を食べていたのを見て腹が空き、私もホットドッグを食べた。
ノルウェーのガソリンスタンドでは、ホットドッグやハンバーガーなどの暖かい食事を作ってくれる。日本やイギリスでサンドイッチというとどうしても食パンのイメージになってしまうが、ヨーロッパでは、ちゃんとしたパンを半分に切ってハムやチーズ、トマトなどを挟んだものをサンドイッチと呼ぶ。ガソリンスタンドには、いろいろなサンドイッチも売っている。昼は精を付けたいので、ソーセージを挟んだホットドッグを食べることが多い。
2人は、「まずいぞ。雨が来る」と言って走る準備を始めた。私は2人を送り出して、パブベンチに座って昼を食べた。南から雨雲が迫ってきているが、ホットドッグを食べるくらいの時間はまだある。








食べ終わって走り出した。しばらくはいい天気だった。そのうち、雨に追いつかれて、雨の中をだいぶ走った。1日のうちの数時間降られるくらいなら何とも思わなくなった。
4時ごろに、バイクを道ばたに止めて、宿を探した。ここらへんは、そんなに選択肢がない。評価のよいキャンプサイトを見つけて今日の宿とした。まだ早いので、宿にありつけないということはない。
キャンプサイト周辺では雨があがっていた。到着して受付でキャビンはあるかと尋ねたら、いくつか選択肢があるようだ。私は、リストの中からいちばん安いのを選んだ。受付棟の反対側にある小さな小さなキャビンである。
屋根の上をコケが覆い、小さな木が生えている。こういうキャビンに一度泊まってみたかったのだ。他の大きめのキャビンの屋根にも同じように植物が生えている。
私のキャビンは、ベッドがほとんどの空間を占拠し、枕元には椅子、足元には小さな冷蔵庫がある。「玄関」のドアは川に面していて、私はキャビンのドアを背に、川を見ながら夕食を作って食べた。
9日目:Namsskogan - Rognan 216miles(348km)


眠っていたが、小さなキャビンの外での話し声で目が覚めた。ドイツ語だ。電話で話している。周りの迷惑にならないように離れたところに行って、人のいない私のキャビンの目の前に落ち着いたわけだ。しばらくすれば電話は終わるだろうと思ったがなかなか終わらない。最後には我慢できなくなって、キャビンの窓を開けて顔を出した。フードを被った若者は驚いて私の方を見た。ドイツ人は小さいときから静かにするように躾けられて育っている。音の騒音には敏感で、私の怒りも即座に理解したはずだ。私は、何も言わず、ただ「シーっ」とだけ音を発した。若者は深くうなずいて、足早に離れて行った。それでも電話で話し続けてはいたが。
睡眠は中断されたが、その日は10時ごろから寝ていたので、再度眠りに入って睡眠を確保することができた。
朝10時頃出発し、ひたすら北に進む。2年前にNordkappに行ったときは、地図にあるBodøどいう町からフェリーに乗ってLofoten諸島のMoskenesに飛び込んだのだが、今回はLofetenの付け根にあるNarvikまで北上してからLofoten諸島の西の端まで走ることにした。前回とまったく同じでは面白くない。
何回か雨に降られたが、それは当然のことと考えて走り続けた。
Nord-Norge(北ノルウェー)という看板を掲げたアーチが見えてきた。ここから北ノルウェー地方に入る。Lofotenが北極圏内かどうか覚えていなかったが、圏内のような気がしてきた。
ガソリンスタンドで昼ご飯を買ってどこかいいところで食べようと思った。ところが適当なところがなかなか現れない。適当な側道を見つけ、そこでバイクを休ませながら立ったまま昼を食べた。ときどきやってくる車をみながらのんびり食べた。こういう昼もまんざらではない。「つぶらなカボス」は、大分県杵築市で買ったもの。水を入れて常にタンクバッグに入れてある。ずいぶん遠くまで連れてこられたミニ缶だ。
それから1時間ほど走ったら、Arctic Circle Centreが見えてきた。このセンターから北は、北極圏である。記録をみると、3時半に着いている。
北極圏に2回来るとは思わなかったが、めでたく2回目の訪問。この先は不毛地帯のような地域が続くので、コーヒーとケーキで一休み。ここは、コーヒーのお替わりが自由だ。
カフェの隣りには大きな土産物屋がある。













Arctic Circle Centreの後は、急に景色が寂しくなる。だが、慣れてくるとそれなりに美しさはある。例によって頑張って走ることはせずに、5時過ぎにキャンプサイトに到着。受付の向かいにあるベンチでかっこよくタバコを吹かしていた長い銀髪で背の高いお兄さんが迎え入れてくれた。厚手のカーディガンを格好よく着こなしていて、これぞ北欧という感じ。彼は水際の素敵なところをくれた。湖かと思って調べてみたら、海だった。ただし、相当深く内陸に入り込んでいる。斜め後ろにキャビンがあるが、それよりもいい場所だ。
今日は体が少し弱っているように感じていたので、途中のスーパーでサーモンのぶつ切りマリネの真空パックを買ってある。日本円で800円くらい。イギリスで買えば軽く1000円を超えるだろう。ニンジンとタマネギを混ぜた炊き込みご飯でサーモンを食べた。ガッツリ食べたので、活力が出た。
食器類を洗いにキッチンへ行くと、そこにポーランド人の家族がいた。父親と子ども2人。上の女の子が空手をしていて、下の男の子は柔道をしているそうだ。ポーランドには親日家が多いと聞いたことがあるが、本当のようだ。ポーランド語のこんにちははジンダブレ。この一言で相手の顔がパッと明るくなる。
10日目:Rognan - Evenes 209miles(337km)




今日は、いよいよLofetenに乗り込む。
昨晩は少し利口になって、普段バイクに乗るときに使っている耳栓をして寝た。キノコ型の安物だが、長い軸をハサミで短く切り落とすと耳栓をしたまま寝ることもできる。効果てきめんで、ぐっすりと眠ることができた。
基本的にE6という道路をたどって走ればよいので道案内もいたって単純。
出発してから1時間半ほど走って、山道のカーブを楽しく走っていたら、右手にカフェ(Rasteplass v kobbskar)を見つけた。朝、テントで火をおこしてコーヒーを入れるのは面倒なので、知らないうちに、朝走り出してからなるべく早くカフェを見つけてコーヒーを飲むのが日課になっていた。
このカフェで、始めてカードが使えないと言われた。その代わり、ユーロが使えるというので安心した。ご夫婦で運営されていて、ノルウェー先住民族のサーミの人にみえた。水も来ていないそうだ。ケースには手作りのケーキが並んでいて、私は柔らかい八つ橋のようなものを選んだ。水もケーキも下からここまで運んでくるのだろう。コーヒーとユニークなケーキを持ってテラスに立って、はじめて景色のめざましさに気づいた。大当たりだ。景色を眺めながら贅沢なコーヒーの時間を過ごした。
そろそろまた走り始めようと動き始めたら、スズキのV-stromの初代と3代目に乗っている若いカップルを見つけた。日本製のバイクに乗っているお礼を言うことを繰り返してきたので、ここでもお礼を言い、少し話をした。何とスズキのバイクディーラーで働いているとのこと。V-stromは壊れずによく動いてくれるバイクだと言っていた。
BognesというところでE6はフェリーになり、向こう岸についたらまたE6が続く。ちなみに、同じ乗り場からLofotenの途中のE5という道路に乗り付けることもできるが、私はショートカットをする気はなかった。
このフェリーで、ゴールドウイングに乗った190cmくらいある大男と話した。彼は学校の先生だ。8週間の夏休みに、息子さん2人と南を走ってきたそうだ。自宅はほとんどロシアとの国境近くとのこと。息子さんたちは、父親よりは小ぶりだが、それぞれ成人して家庭を持っている。2人ともBMWのGSAに乗っている。ほぼ新車だ。この親父さんが言うには、彼のゴールドウイングは4万ポンド(約800万円)したそうだ。新型だと6万ポンド(約1200万円)なのでちょっと手が出せないと言っていた。学校の先生はそんなに給料がいいのかと聞いたら、昔Royal Dutch Shell(シェル石油)で働いていて、充分稼いだから仕事が楽な教員になったとのこと。憶測だが、息子さんたちのGSAもパパが買ってあげたような気がする。私とほぼ同年代で、リタイアすることもできるそうだが、もう少し働くとのこと。




目標にしてきたNarvikも過ぎ、BjerkvikというところでE6と別れて、Lofotenを東西に貫くE10へ左折。いよいよLofotenだ。気分が良くなる。
2年前は、この道を西から東へ逆に走って、BjerkvikでE5に合流してNordkappを目指して北上した。この辺りの橋を渡っていたとき、左右には信じられないほど巨大な山が聳えていた。私はそれを探しながら走ったのだが、見つからない。あれは、どこだったのだろうか。
5時ごろになり、前回来たときに気に入ったキャンプ場まで今日中にたどり着けないことがはっきりした(あと3時間かかる)。そこで手近なキャンプサイトを選んだ。
今日選んだキャンプサイトも水辺の気持ちの良い場所だ。早い時間に入ったので、いい場所を取れた。
水回り、トイレ等をチェックしていたら、キッチンは、トイレ・シャワー棟の外側に1つだけ。トイレは、男性用が1つ、女性用が1つだけ。シャワーも同様。ちょうどトイレから出てきた男性に、トイレは1つだけ?と聞いたら、そうなんだ!と嘆き気味の答え。すでにキャンピングカー5台ほどはあったので、キャンプサイト全体に対して数が少なすぎる。
水際の芝生には左右の端に先客がいた。左手は、フランスの30代くらいの女性サイクリストで、何でもノルウェーからフランスまで行く有名なルートがあるらしく、きのうNarvikに電車で着いて、これからフランスまで走るそうだ。Lofotenには関心がなく、南に自転車で走ることだけを考えている。
右端のテントにいたのは、アメリカから来た大学生2人組。Lofotenまで飛行機で来て、レンタカーを借りて一周してきたそうだ。明日、飛行機に乗ってアメリカへ帰る。かなりの出費になったようだが、若いうちに別の世界を知っておくのはいい考えだ。
晩飯も済ませ、テントから景色を見ながら寝転がっていると、後からやってきた若者4人組が、テントのすぐ外で晩ご飯を作り始めた。さすがヨーロッパ人で、大声は出さずに小声で話しながら料理をしている。私のテントの頭越しにはパブベンチがある。テントの位置を決めるときに、ベンチが人を誘うことを考えておくべきだった。
しばらくして、彼らの声が聞こえなくなった。トイレに行くのにテントを出たら、別の少し登ったところにあるベンチでご飯を食べていた。優しい気遣いだ。通りがかりにボナペティと言ったら、とても嬉しそうに笑ってメルシィと一斉に返事が返ってきた。さすが食を大切にするフランス人だ。人が食べているときに誰にでもボナペティと声をかけるのが習慣だと、どこかで聞いた気がする。


11日目:Evenes - Valbergsveien 137miles(220km)




今日は、前回Lofotenに来たときに気に入ったキャンプ場まで、道中を楽しみながら行くだけだ。
今回、東の付け根から西に向かって進むルートを選んだのは大正解だった。前回は、フェリーで一気にいちばんいいところに飛び込んだのだが、今回はジワジワとそこに向かって進んで行く。西に進むにつれ、山々の高さが増し、自然の迫力が増してくる。だんだんとクライマックスへと向かう静かな興奮が常にある。
いい景色を見つけて、写真が撮りたくなり、狭い道路脇にバイクを止めた。後ろから大型の貨物トラックがやってくる。運悪く、前方からキャンピングカーが。貨物トラックは、私がいたために、スピードを落とし、止まって、キャンピングカーが通り過ぎるのを待った。私がこんな狭いところでバイクを止めたせいだ。貨物トラックの運転手に本当に申し訳ないと思った。
キャンプサイト周辺で、幹線道路のE10を離れて現地の道を走る。左手遠くにギザギザの山脈を眺めながら走る。すれ違う車はほとんどない。自分とバイクだけの時間が好きだ。









キャンプサイトには2時半ごろ着いてしまった。懐かしい。何も変わっていない。
受付には、可愛らしい女性が2人。1人はチェコから、もう1人はスロバキアから。さっそくアホイと挨拶。プラハの大時計やカフカの家のことなどを話して私が勝手に盛り上がった。今日は曇りがちだったので、キャビンの値段を聞いたら、高いからやめておけという。本当に高い。テント泊に決定。いくつか場所があるが、泊まってみようかなと思っていた場所は、前日の雨でぬかるんでいる。結局、最初に来たときと同じ場所にテントを張った。
このキャンプサイトには、カフェ・レストランがある。テントを張り終わってから、ここで3時のコーヒーとケーキを食べた。オーストリアのスキー場のような雰囲気だ。
晩ご飯を作るときに、このカフェ・レストランでビールを買って、祝杯をあげた。
12日目:Lofoten Fjordcamp
今日は、休むことに決めた。イギリスを出てから11日間、1日も休んでいない。今日は、バイクに乗らないで、1日ゴロゴロしていることに決めた。
遅い朝ごはんも、自分で作らずに、カフェで食べた。値段は£11。日本円だと2000円を超える勘定になるが、ポンドの感覚だと、そう悪くはない。ここ数日間、栄養のバランスを欠いた食事をしていたので、それを正すためにも、少しずついろいろ食べた。






夕方7時半ごろになって、自転車青年がやってきた。彼はノルウェー人で名前はアレックス。今日は、120キロほど走ったそうだ。もともとバイク乗りだったが、今は自転車にはまっているそうだ。アレックスは、これまで走ってきた中からお勧めのルートと道順を丁寧に教えてくれた。Lofotenは西端の村「Å」(Aの上に小さな○が付いて、発音は「オー」らしい)まで2年前に行っているので、アレックスの提案をとても魅力に感じた。
13日目:Lofoten Fjordcamp - Midnattsol veien - Hadseloy島 - Sortland

イギリス人はときどき「マジカル」という単語を使う。この世のものとは思われないほど素敵でワクワクするような体験を指すことが多い。今日は、そんなマジカルな1日旅だった。
きのうアレックスがお勧めのルートを丁寧に教えてくれたので、それにしたがった。上の地図で言うと、6で左折して島を時計回りに2まで行き、そこからフェリーで対岸の島に渡った。この島も時計回りに走り、ついでに4まで走った。帰りは余分な回り道はせずに、最短距離で帰ってきた。

6の手前(Svolvær)で、止まるに値する景色に出会った。そこで写真を撮った。




6で左折して、車がほとんどこない道をトコトコとのんびりとお日様を浴びながら走るのは、実に気持ちよかった。
Midnattsol veien(地図1)に達したとき、光景を見て頭が高揚しているのを感じていた。こんなに美しいところに、バイクと私だけが、ポツンといる。あまりにも音がないので、耳に流れている血の音が聞こえる気がする。「生きている」ということを感じる瞬間だ。
やがて、地図2の場所に着いた。私は、前をゆっくりと進むキャンピングカーの後をついていった。乗り場には、すでにフェリーを待っている別のキャンピングカーが1台だけ。私の前をゆっくりと進んでいたキャンピングカーは、先着のキャンピングカーと肩を並べるように、右脇に止まった。特に考えもせず、私もその後ろに止まった。
ほどなく、私の前のキャンピングカーがゆっくりバックし始めた。これには慌てた。運転手に私のバイクは絶対に見えていないと思った。その時、外に立って、キャンピングカーの運転手と話していた先着の人たちが、後ろにバイクがいると注意を与えてくれた。それとほぼ同時に、私は、バイクを1つ左の車線に避難させていた。これでぶつけられる可能性はなくなった。やれやれ。
ヘルメットを外し、バイクからおり、そこらをうろついた。ついでに、キャンピングカーのバックを止めてくれた夫婦に礼を言った。バックしてきたキャンピングカーの夫婦もそこにいて謝ってきたが、何も起きなかったから気にすることはまったくないと言った。助けてくれた夫婦の英語にはイタリア人訛りがある。だが、彼らのキャンピングカーは、ドイツのナンバープレートだ。尋ねると、果たしてイタリア人だった。キャンピングカーを借りた場所がドイツ領域だったので、ドイツのキャンピングカーにイタリア人が乗っているという状況がおきたわけだ。ドイツナンバーだからドイツ人が乗っているという推定は成り立たない。そう言えば、バックしてきた方は、ノルウェーナンバーだったが、夫婦の英語には少しフランス訛りがあった。
少しして、70代くらいの男性ライダー2人が加わった。1人はヤマハのMT300に、もう1人はホンダVarederoの125に乗っていた。地元の人だそうだ。年齢が上がっても、小さな排気量のバイクに乗り換えて走りを楽しんでいる。私もこんな風になりたい。Veraderoのライダーが着ていたHi Vizの背中に「Fragile」とプリントしてあったのには笑った。Fragileは「壊れやすい、もろい」という意味。










フェリーから降りて、島をまた時計回りに回り出した。ちょうどいいタイミングで小さなカフェが現れたので、一休み。
最初は私1人だけだったが、あとから車のカップルが加わった。お客の呼び水になることができてよかった。
島の北端まで来て、昼を食べようと思った。アレックスがさらに北に上っていっても素敵だと言っていたのを思い出して、適当な食事場所を探してみたら、Sortland(地図4)という町に日本食店を見つけた。評価も高いが、日本食の場合、過去に過大評価の例ばかり見てきたので、食事には期待せずに、そこに行く理由とした。
これが大正解で、そこに至るまでの景色に幸せいっぱいであった。アレックスに感謝。
日本食のレストランは、タイ人が運営していたので少し安心。タイのご飯は美味しいし、お米の名使い方もよく分かっている。
お店の名前はÅ-ISHI Restaurant。「Å」は「オー」という音だそうだから、これで、「オイシイ」と読めるはず。左側の春巻きは私がすでに1本食べたあとだ。右側にあるのは、サーモン丼。ワカメや枝豆などいろいろ乗っていて、工夫が見られる。柔らかかったが酢飯もOKだった。
ここから東の島に渡る橋があって、それを渡ってさらに進む誘惑に駆られたが、もう帰途につかなければならない。
これはまずいことになった。さらに北へ進んでセンニャ(Senja)の方まで行ってみたくなってしまった。次にLofotenにやってきたときは、ぜひ行って見たい。実は去年、ノルウェーの南の方で、ノルウェー人からSenjaの素晴らしさを聞かされている。今日の経験からすると、Senjaではそれ以上のものが期待できそうだ。



14日目:Lofoten Fjordcamp - Å

せっかくLofotenまで来たのだから、定番のReine、Åを見に行くことにした。Åのパン屋さんをゴールにして、評判の高いパンを楽しみに走り出した。
Nappstraumという海底トンネル(海水が漏れ始めたために中は改修工事中)を抜けたあたりから景観は見事さを増してくる。地図で言うと、真ん中あたりに道が「ひ」の字型にくねっているが、その右手にある、アイスクリームのような形をした島からが特に良い。絶景より上の単語があれば使いたいところだが、絶景より絶景な景色が、これでもかと連続して出てくる。美しい景色が好きなライダーたちが恍惚感に浸るルートだ。
Reineでガソリンを入れようとした。自分が横付けしたポンプは使用停止になっていて、ちょっとイヤな予感がした。反対側のポンプは使えることができるので一安心。デビットカードを端末に差し込んで暗証番号を入れたら、カードが拒否された。何かの間違いだと思って再度挑戦。また、ダメ。これは困ったことになった。
実は、すでにクレジットカードで給油ができない状態になっていた。給油以外ならこのクレジットカードはバンバン使える。もう書いたような気がするが、最初にノルウェーで給油したときに、給油会社が端末を通じて使用総額の上限を選択するように要求してくる。これを使い切ってしまうと、カードが拒否される事態が起きる、のだと理解している。いろいろ調べたら、ガソリンスタンドのカウンターで話をすれば解除してくれる、もしくは再設定してくれる、ということなのだが、複数のガソリンスタンドで尋ねてみてもカウンターの人がそれをまったく知らない。なぜこのような上限設定をするのか分からないし、それがシステムとして機能していない。
